山田酒造場
明治31年(1898年)創業、豊後高田市の小さな清酒蔵。銘柄「豊乃関」を火入れ貯蔵した古酒を中心に販売しています。
- 所在地
- 大分県豊後高田市大字新栄1216
- 創業
- 明治31年(1898年)
- 代表銘柄
- 豊乃関
- 種別
- 日本酒/焼酎
- 蔵見学
- 可(要予約・2名程度まで)
明治31年(1898年)創業、豊後高田市新栄に蔵を構える清酒蔵。銘柄「豊乃関」は、明治中頃まで相撲番付の最高位だった大関にちなみ、「豊の国・大分の大関にならん」という夢を託して名付けられました。現在は火入れして蔵で貯蔵した古酒を中心に瓶詰め・販売しており、蔵見学は要予約で2名程度まで受け付けています。
豊後高田は、十世紀前後に仏教文化が栄え、江戸時代には島原藩の飛び地として約3万石を治め、港町として半島内陸部の物産の集積地としても栄えた土地。明治から昭和にかけて十数軒の酒造業者があったといわれますが、今も残るのはこの山田酒造場だけです。もともと醤油醸造を営む地主だった山田家は、酒造業を営んでいた親戚に酒米を供給していましたが、その親戚が倒産したため、米代の代わりに蔵を引き受けたのが酒造りの始まりと伝わります。
創業者は商才に長け、米や酒を宇部や県南へ運んでは換金し、事業拡大への投資も惜しみませんでしたが、県南へ酒を満載して向かう帆かけ舟の何隻かが時化で転覆し、借金を抱えることに。大正13年に創業者が亡くなった後、家業を継いだ2代目は理財家で、日露戦争後から第一次世界大戦期の好景気の中、借金返済のために年2回の酒造りを行ったこともあったといいます。第二次世界大戦と統制経済の苦しい時代を経て、3代目・敬之助が26歳だった昭和28年に独立。昭和35年頃には他の蔵が転業や廃業で姿を消し、豊後高田では山田の蔵の「豊乃関」だけが残りました。
一升瓶がなかった頃、客が枡や入れ物を持参して量り売りで酒を買っていた時代の陶器製の酒樽をはじめ、蔵には歴史を垣間見られるものが数多く残っており、蔵全体が百年の歴史そのものを物語っています。




